自作MADと時事四方山話等々…
This blog is mainly Japanese only, sorry... 自作MAD作品の紹介と時事の四方山話を紹介しながら、ボチボチ展開して行きます。
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2004年度大統領選挙における電子投票システム不正への関与が疑われた重要証人が事故死
ジョージ・ブッシュ大統領再選キャンペーンと、ジョン・マケインの2008年度大統領選挙キャンペーンでITコンサルタントを務め、“ブッシュの頭脳” カール・ローブのIT教祖と讃えられたコンピューター技術者マイケル・コネル氏が、19日に飛行機事故で死亡したと地元メディアが伝えている。
オハイオ州のアクロン・ビーコン紙によると、12月19日午後6時頃、コネル氏自ら操縦する自家用飛行機が、オハイオ州アクロン・カントン空港に隣接する住宅に墜落・炎上し、コネル氏本人の死亡が確認されたとのこと。事故原因は目下調査中とされる中、関係者からは謀殺の声も上がっている。(デモクラシー・ナウもこの件で特集を放送している)
マイケル・コネル氏は、2004年度大統領選挙で、大混乱となったオハイオ州の電子投票機を巡り、民主党ケリー候補への投票をブッシュ側へ変換する細工を行ったとの疑いをもたれ、2008年に地元市民団体から訴えられていた。今年10月には同裁判で証人として出廷し、選挙不正の嫌疑を否定したばかり。訴訟を提起したクリフォード・アーンベック弁護士は、重要証人であるコネル氏の身辺に危惧を感じ、今年7月に司法省に証人保護申請をしていた。
地元テレビ局の報道によれば、亡くなったマイケル・コネル氏は、最近では親しい友人たちから、破壊工作の恐れがあるので飛行機の操縦を控えるよう忠告されており、過去2ヶ月間で2度、航空機の不具合で飛行をキャンセルしていたという。2004年度大統領選挙時の不正問題を追及してきた関係者たちは、コネル氏の件に謀殺の疑いもあるとして、当局による事故原因調査の展開を注視している。
ブッシュ家周辺では、飛行機事故で関係者が死亡するケースが過去に少なくとも3度ある。1991年、ブッシュ父が関与したイラン・コントラ事件の調査に関わっていたジョン・ハインツ議員とジョン・タワー議員はいずれも飛行機事故で死亡。2002年には、ブッシュ家の政敵の一人で、イラク戦争に強く反対していたミネソタ州民主党上院議員ポール・ウェルストーンが、中間選挙投票日直前に飛行機事故で死亡し、ブッシュ側が推薦した共和党候補が勝利するという事態が発生している。
ちなみに、ウェルストーン議員の死により当選した共和党のノーム・コールマン上院議員(現職)に対して、今年は政治ネタで知られるコメディアン、アル・フランケンが民主党から挑戦。11月の投票日直後は共和党コールマンの勝利だったが、その後の調査で続々と集計ミス(不正?)が発覚し、現在に至っても再集計の最中である。今現在、現職コールマン議員とフランケン候補は、数十票の差を巡るデッドヒートを繰り広げており、来年2月まで選挙結果の確定がずれ込むと見られている。
麻生首相、共産・志位委員長と会談 雇用問題への取り組みへ最大限努力する考え示す
麻生首相は5日午前、国会内で共産党の志位委員長と会談し、深刻化する雇用問題への取り組みについて、政府として最大限努力する考えを示した。
志位委員長は「私の方からですね、特に『派遣切り』、『期間工切り』と今言われている事態について、これ政治の責任で、実効ある措置をとって、やめさせるということを強く求めました」と述べた。
河村官房長官は「民間企業に対してどこまで介入できるのかと、こういう問題はあるけれども、認識は共有してるから、できるだけの努力はしていきたいと」と述べた。
この中で、志位氏は、大量の失業者が年末年始の路頭に迷う事態を引き起こしてはならないとして、企業側に雇用を守るよう、指導・監督を行うことを政府に要請した。
これに対し、麻生首相は、指導・監督については明言を避けたものの、「何ができるか、できるだけ努力したい」と応じた。
こうした中、自民、公明両党は、追加の雇用対策で、今後3年間の事業規模を2兆円とする方針を固めた。
2兆円の事業規模の中には、失業者対策のほか、派遣社員を正社員に採用した会社には、1人あたり最大100万円を支給する対策などが盛り込まれており、5日午後、最終案をまとめたうえで麻生首相に報告する予定。
自民造反と民主・社民・国民による不信任案可決が囁かれる中、細川政権後の自民のように、共産と手を組もうとでも考えているのだろうか? それとも、雇用問題を追い風にしている共産の出鼻を挫いて戦力と士気を削いでおきたいと考えているのだろうか?
ムンバイ同時多発テロ:残りの犯人グループが逃走中?
英タイムズ紙がインド治安当局筋の内部情報として伝えたところでは、犯人グループがムンバイ上陸に使用したボートに残した装備品は15人分あり、すでに実行犯と特定された10人(9人が射殺、1人拘束)以外に5人が、武装して上陸している可能性が高いという。
また、拘束された犯人の自供内容によれば、今回のテロ計画のために24人のメンバーがパキスタン国内で軍事訓練を受けていたという。捜査当局者は、行方不明のメンバーは、武器の輸送や現地での準備作業を担当していた可能性もあるとみている。
現地ではテロリストが今も逃走中との情報が伝わっており、また、最初の銃撃現場となったチャトラパティ・シヴァージー・ターミナス駅で、すでに治安当局が安全を確認し一般利用が再開されていた3日、新たに駅構内から爆弾が発見され、慌てて信管除去処理が行われたという失態もあり、次のテロが発生する懸念は消えていない。
ところで、インド治安当局が尋問中の犯人アザム・アミール・カザフの供述内容によれば、彼の出身地はパキスタン東北部パンジャーブ州南部のファリードコット村とのこと。この人口3,000人ほどの場所に、米マクラッチー紙がさっそく裏付け取材に行ったところ、地元で犯人を知るものはいなかったという。同地にはパキスタン軍統合情報局(ISI)も裏付け捜査(?)に来ていたらしい。報道によれば、拘束された21歳の犯人は流暢な英語を話すという。しかしマクラッチー紙記者の見たところでは、村の言葉はパンジャビ語で、聖戦士の土壌となるデオバンド派等他の過激なイスラム思想を伝える様子もないという。現地のマドラサ責任者はインタビューで言う:「インドとパキスタンの和平を祈ってます。罪なき者を殺すのは間違いです。イスラムもそれを許していません。アメリカの爆撃も罪なき者を殺していますけどね」
警告はあったインド・ムンバイ同時多発テロ
これまでの報道によれば、犯人グループは10人で、9人が射殺され1人が捜査当局に拘束されている。生き残った実行犯はアザム・アミール・カザフ(21歳、アジマル・カサブの別名あり)で、尋問でテロ計画の詳細を白状しはじめているらしい。それによれば、当初犯人らはタージマハールホテルを爆破し、5,000人ほど殺害して後にパキスタン側に引き返す計画であったという。
インド政府当局は、犯人グループがパキスタンを拠点に活動するイスラム過激派『ラシュカル・エ・トイバ(LeT)』のメンバーであると発表している。拘束された実行犯もメンバーであることを自白したという。
LeTはパキスタン軍統合情報局(ISI)の支援を得ているとみられ、インドとパキスタンの急速な関係悪化は必至となった。すでにインド政府は国内に戦時体制を敷いており、パキスタン側もアフガニスタン国境付近で展開する対アルカイダ・タリバン作戦部隊10万の兵力をインドとの国境紛争に備えて移動させると地元メディアに語っている。
テロ実行犯たちの背後関係がどうであれ、こうした両国関係の悪化こそ、犯人たちの政治的目標であったに違いない。
インド・パキスタン紛争の源泉として緊張が続くカシミール地方では、今年9月の両国首脳会談での合意を元に、両国の経済関係を活性化させるべく旧交易ルートが61年ぶりに再開されたばかりで、通商レベルではすでに和平プロセスが見え始めていた。さらに11月22日には、パキスタン大統領アーシフ・アリ・ザルダリが、インドの報道陣を前にテレビ会議を通じて、インド政府は南アジア非核協定に合意すべきと唱えつつ、「我々の側が先に核兵器を使用することはありえない」と発言し、パキスタン側がこれまで堅持してきた先制核攻撃の立場を翻す姿勢すら見せた。こうした和平ムードの進展が、パキスタン国内の右派勢力を激怒させた可能性は高いだろう。
インドのヒンドゥ紙によれば、インド政府諜報筋では、近日中にムンバイ地区でテロ事件が発生する可能性が伝えられていたという。インド対外諜報機関RAW(Research and Analysis Wing)は、11月18日にパキスタンのLeT本部とテロ実行犯とおぼしき人物の衛星電話による通話を傍受していたらしい。
RAWの警告はインド国内の治安機関に伝えられており、海軍と沿岸警備隊は武装グループを捜索していた。驚いたことに、こうしたテロ発生警告はタージマハールホテル側にも伝わっており、ホテル側は金属探知機を玄関に導入して警備を強化していたと、オーナーであるタタ財閥会長はCNNインタビューで語っている(犯人たちはホテルの厨房裏口から侵入したといわれている)。それ以前に9月にも、やはりRAW協力者からタレコミがあり、タージマハルホテルとボンベイ証券取引所、さらにオベロイホテルへのテロ攻撃があると警告があったという。しかし警備人員の不足と、地元住民や実業界から商売に差し支えるとの不満があり、1週間ほど前に警戒態勢が緩和された矢先の出来事だった。今後は、ホテル側の警備体制や、政府当局の警戒態勢の不備について責任が問われることになるだろう。
事件がどのようなものであったかについて、AP通信が現場インタビューを元にしたタイムラインを公表しているので、以下にその概要を翻訳。
11月26日午後9時21分:
(ムンバイのチャトラパティ・シヴァージー・ターミナス駅)二人の若い男が駅を通り抜けて駅前のタクシー乗り場へ歩いて向かっていた。一人はカーキのカーゴパンツにブルーのTシャツを着ていた。肩にはナップサックを抱え、一見すると大学生のように見えた。彼らこそ、二人を追跡したカメラマンの言葉を借りると、「突撃銃を持った旅行者」だった。
この二人と、同様に二人一組で行動していた他の決死隊の者たちこそ、この後3日間かけて、ムンバイ中の名所を次々に攻撃し、街中をパニックに陥れ195人以上を殺害したのだった。
セバスチャン・デ・ソウザ氏は、ムンバイ・ミラー・タブロイド新聞社のオフィスで、向かいにあるチャトラパティ・シヴァージー・ターミナス駅から銃撃音を聞いた。彼は音源を追って駅に向かい、停車中の列車の間に身を潜めた。二人を見た第一印象では、銃撃犯とは思えなかったという。無邪気そうに見えた。その時、二人が発砲するのを見た。「腰から撃っていた。プロだ。とても落ち着いてみえた」タブロイド紙の写真編集者であるデ・ソウザ氏は言う。その後45分以上、彼は二人の実行犯が次から次へと銃撃し、手榴弾を投げるのを追った。10メートルほどの距離まで近づいたこともあった。駅に居た警官らは死ぬか、隠れるか、逃げ出していた。
捜査当局者の話では、犯人グループは10人で、よく訓練されており、急襲用ライフルと手榴弾で武装していたという。犯人らはあらかじめ標的を偵察していた。通路や地下室も知っていた。養分補給のためにアーモンドを携帯していた。警察の話では、犯人グループはパキスタンを拠点とするイスラム過激派で、カシミール地方の紛争に関係があるとみている。
犯人グループは日没後のムンバイ海岸にゴムボートで到着した。そこから主要な攻撃目標まで歩いて15分程度である。犯人グループは街中で散開し、2時間で10カ所を攻撃した。彼らは外国人観光客や富裕層が集まる名所を攻撃目標に選んだ。攻撃の多くは数分で終わった。しかし二カ所の高級ホテルと、ユダヤ・センターに立て籠もり、数百人の特殊部隊員を3日間釘付けにした。
11月26日午後9時30分頃:
(ナリマンハウス:ユダヤ教厳格正当主義ハバド・ルバヴィッチ派のムンバイ本部)ムンバイのコラバ地区本通りから一歩裏に入った場所にある、改装したばかりの5階建て集会所で、ラビのガブリエル・ノアク・ホルツバーグ氏の家族と集まった人びとは銃声に驚いた。礼拝堂やコーシャ食堂を備え、愛想のよいラビが居る薄い黄色の建物は、休暇を楽しむイスラエル人旅行者を魅了しており、ムンバイの小さなユダヤコミュニティにとって重要な宗教施設でもある。
集会所のメイドを務めるサンドラ・サミュエルは、誰かが爆竹を鳴らしたのだと思ったという。
まもなく一人の武装犯が階段を上ってきた。サンドラと他の従業員たちは部屋に隠れ怯えていた。爆発音と銃声が建物中に一晩中響いていた。
「彼らは全て破壊していきました。エレベーターも、食堂も、全て」サンドラは言った。
(同じ頃、レオポルド・カフェ&バーにて)レオの店で知られる同店は、ムンバイの有名な観光客用レストランで、ガラスのテーブルに古い観光ポスターが貼られ、旅行者は普段着で安いビールが飲める。二人の襲撃者が入り口に立った時、店内には100人ほど客が居た。犯人の1人が手榴弾を投げ込んで、すぐに銃撃を始めた。
「大混乱でした。何が起きているのかわからなかった。床に倒れる人もいれば、横の出口から逃げ出す人、隠れ場所を探す人もいました。」兄弟で店を所有するファルザド・ジェハニ氏は言った。銃撃は2分間ほど続いた。それが終わると、少なくとも4人の外国人と3人のインド人が死亡していた。常連客が大急ぎでけが人を運び出し車やタクシーで病院に運んだので、店のオーナーはあまり記憶に自信がないという。
犯人たちは店を出て、通りを走り、数ブロック先にあるインドでもっとも有名なホテルに向かっていた。「特に誰かを狙っている様子でもなかった。まるで弾倉を空にしたいだけで、タージマハールホテルにたどり着く途中で、できるだけ損害を与えようとしていたようだ。」ジェハニ氏は言った。
午後9時45分頃:
(タージマハールホテル)誰も銃声とは気がつかなかった。100年以上前にインドの最も権力ある財閥によって建設されたお城のようなそのホテルは、ムンバイのエリートたちが集う場所である。数え切れないほど多くの結婚式の会場となり、ビジネス会合の場であり、高額なデートの場所でもある。ムンバイの顔だ。
しかし、その銃声は、二人の男がロビーで発砲したものだった。ムンバイで高級下着店を経営するダルビル・ベインズ氏は、友人とプール傍で夕食にステーキを食べていた。友人と銃声が聞こえたと冗談めかしていると、まもなくホテルは叫び声に包まれ、友人の笑い声は恐怖に変わった。彼女は上階に上がると、レストランのテーブルの下で50人ほどの客と共に身を寄せた。音を立てないよう必死だった。「銃声が追いかけてきたんです」ベインズ氏は言った。
午後9時47分:
(チャトラパティ・シヴァージー・ターミナス駅)武装犯たちは大きなガラス張りのレストランに向かって発砲していた。彼らは「電車を待つ客たちに発砲していた。荷物があちこちに散らばった。あたりは血の海になった。死んだ人が大勢倒れていた。」マネージャーのフォンゲン・フェルナンデス氏は言う。
まもなく、皆が死ぬか隠れるかした。死体以外に、駅には誰もいなくなった、とデ・ソウザ氏は言う。最悪の虐殺現場は郊外行き列車の待合室だった。数十の死体で溢れ、多くが頭を撃ち抜かれていた。当局者によれば、53人が殺されていたという。
犯人たちはトラックを盗んで走り去った。少しすると、犯人の1人が警察に射殺され、生き残ったもう1人の犯人が拘束された。男はパキスタン人だった。
駅では、当局者が木製の荷物カートを使って死体を運んでいた。フェルナンデス氏は言う:「まるで羊や山羊を扱うみたいだった。」
午後10時頃:
(オベロイホテル)ウェイターのジョセフ・ジョイ・プリサラ氏は、このモダンで高級なホテルの中華レストランで働いている最中に、銃撃に遭遇し、客と従業員は大混乱に陥った。プリサラ氏は足を撃たれた。傍にいた女性は頭を撃ち抜かれていた。
犯人らは他のレストランに行き、客やウェイターに向かって無差別に銃撃をした、とアメリカ人の瞑想教師アンドレイナ・バラゴーナさんは言う。少なくとも10数人が床で死んでおり、その中にはバラゴーナさんの友人も含まれていた。「そこら中死体だらけでした。まるで映画の中の出来事のようでした。」バラゴーナさんは言う。
犯人らは生き残った客を階段の吹き抜けに集めた。犯人の1人が身分証明書を提示しろと言いながら、アメリカ人とイギリス人を捜していると話した。それから客を上階に歩かせた、と英国人客アレックス・チェンバレン氏は言った。
チェンバレン氏とホテルにいた他の客は、急いでその場を飛び出した。
一カ所のレストランでは、従業員が60人ほどの客を厨房に連れ込み、その後もうひとつの部屋へ移動させて、軽食を与えてから外に連れ出した、とホテルの支配人は言った。
他の客は部屋でバリケードを作って隠れた。犯人たちは人質を取った。
午後10時35分:
犯人たちが警察署を攻撃した。数分後に今度は病院を銃撃し、警察車両を待ち伏せ攻撃し、5人の警察官を殺害して車両を奪い逃走した。その後、ヴィレ・パルレ郊外でタクシーが爆発。15分後に、今度は市内でタクシーが爆破。運転手が1人死亡したとみられている。
木曜日朝(11月27日):
(オベルロイホテル)窓から苦痛な嘆願が書かれた横断幕が下がった:「助けて」
内部では、数百人の客が部屋に隠れ、あるいは人質になっていた。
ライフルと手榴弾で武装した犯人らは、エジプト人ビジネスマンのオサマ・エンバビ氏を部屋に押し込んだ。部屋にはすでに人質となっていた4-5人の中東系らしき客、もしくは従業員が居た。「犯人は叫び、部屋を出ようとしたら殺すと脅しました」エンバビ氏は言った。
一方、28歳のシンガポール人弁護士ロー・ホイ・イエンさんは、携帯電話で夫のマイケルに連絡をしていた。彼女は人質になっており、ホテルにインド部隊が突入したら殺すと脅迫されていた、とシンガポールのメディアが伝えた。
午前9時過ぎ、インド治安部隊が人質救出作戦を開始した。ローさんの遺体は19階で発見された。
市街のあちこちで、インド警察と軍は対応しきれていない様子だった。3カ所で銃撃戦が展開しており、うち2カ所は市内で最も有名な場所であり、数百人が身動きできずにいた。二つのホテルで時折炎が上がり、建物に近づける時にはホースとクレーン車を携えた消防士が炎と格闘していた。銃声と爆発がムンバイ南部で耳慣れるようになった。
住民は以前にもテロに遭遇しているが、今回は状況が違っているようだった。「これはもう限界です」33歳の主婦アイエシャ・ダーさんは言った。
午前10時45分:
(ナリマンハウス)子供の泣き声を除けば、ユダヤ・センターは静かになった。メイドのサミュエルさんは、隠れていた部屋のドアを破り階段を見上げた。踊り場を上ると、ラビの息子で2歳になるモシェが、床に倒れた両親と二人のイスラエル人客の傍に座っていた。子供のズボンは血でぬれていた。彼女は子供を抱えて、階段を駆け下りて建物を出た。
犯人らと対峙した兵士たちの話では、武装犯は強靱で無情な相手だったという。「どこかで訓練されていたのは明らかだ。あんなにAK銃に慣れ、手榴弾を投げれるやつはそういない。」匿名のインド海軍特殊部隊員が、黒いマスクで顔を隠しながらホテルに突入した後で報道陣に答えた。犯人らは「覚悟を決めており、無慈悲だった。」
11月28日午前7時頃:
(ナリマンハウス)黒ずくめの特殊部隊員たちが、ユダヤ・センター周辺の建物の屋上に展開し、援護射撃を開始した。屋根にヘリコプターが近づいた。次から次へと、マスクをした特殊部隊員がロープで降下している。ヘリはさらに多くの部隊員を降ろし、3度目に装備を降下させた。ゆっくりと、攻撃部隊が外階段を降下しながら建物を掃討し始めた。
建物から小規模の爆破があった。数秒後、2発の銃声があり、一呼吸おいてさらに2発。数時間ほど同じパターンが続いた。爆破で建物に穴が開くと、近くの通りで数百人の見物人が歓声を上げた。
11月28日午前中:
(オベルロイホテル)数十人の人質がパスポートを掴んでホテルから車やバス、救急車へ乗り込んだ。
午後3時頃、政府当局がホテル内部で犯人二人を射殺しホテルを奪還したと発表。
犯人らは32人(客22人、従業員10人)を殺害し、多くの負傷者を出した。
午後には、人質になっていた100人以上の人びとが建物から救出された。
11月28日午後5時39分:
(ネリマンハウス)インド特殊部隊がユダヤ・センターの上階にロケットを発射し、周囲の建物のガラスが吹き飛ばされた。
11月28日午後6時15分:
(ネリマンハウス)特殊部隊の小グループが通りに現れ、銃を掲げて勝利の合図をした。群衆が警察の包囲を突破して通りを埋め、祝勝気分に沸いた。
建物の内部では、9人の遺体が見つかり、ラビとその妻も含まれていた。イスラエル側の報道によれば、一部の遺体は祈祷用肩掛けで覆われていたという。
11月28日深夜:
(タージマハールホテル)海辺のホテルでは銃撃戦が続いていた。当局者の話では、おそらく二人の武装犯が内部に立て籠もっているとのことだった。爆発と銃撃が断続的にあり、夜明けに激化した。壊れた窓から再び炎があがり、建物の石造り側を包んだ。黒い煙がアラビア海上空に昇った。外では、数十人の報道陣がホテル前に身をかがめ、数人のテレビレポーターは緊迫した状況報告を聞くことができた。わざわざ避難する者はいなかった。
29日午前8時30分:
(タージマハールホテル)多くの破壊をもたらした事件は静かに終わった。勝利宣言はなかった。一時、内部で爆発があり、数分後に一人の男性が普段通り歩いて出てきて、消防士に消火するよう手を振った。
タージマハールホテルの包囲も終了が宣言され、3日間に及ぶテロ事件は終わった。最初に二人の武装犯が駅に現れてから60時間が経過していた。外では、残骸に火がくすぶっていた。白いベッドシーツでできた紐が窓から下がり、逃げた客らの名残を見せていた。アラビア海の数フィート手前で、十数台のバスが駐車していた。バスの中は兵士と特殊部隊員で溢れ、ようやく休憩できた様子だった。
数百人の人びとが兵士に花を手渡そうとしてバスに押し寄せていた。
馬鹿息子をトップに抱えた国は只管耐えるしかない
我田引水、もしくは一所懸命という概念と心中している島国国民性の中には、封建的な制度と性質が恐ろしい程よく似合うものだ。ただ、相手側が本気で攻めて来た場合に、それに対抗し得る力を蓄える事を怠った時に、倒幕運動が加速するのは、歴史の教える所であろう。

